最近、テレビやラジオで大活躍の新浜レオンさん。その人気はうなぎのぼりで、2024年の紅白歌合戦にも初出場を果たしました。そんな新浜レオンさんには、「師匠」と呼べる人が何人かいるというウワサがあります。
一体、誰が本当の師匠なのでしょうか?この記事では、新浜レオンさんの師匠について、木梨憲武さんとの関係や、父親である高城靖雄さんとの絆などを、色々なエピソードを交えて詳しくご紹介します。
この記事でわかること
・新浜レオンさんと木梨憲武さんの関係
・新浜レオンさんと所ジョージさんの関係
・新浜レオンさんと五木ひろしさんの関係 など
新浜レオンさんのプロフィールを紹介
経歴は?
新浜レオンさんは、小中高と野球に打ち込み、プロ野球選手を目指していました。大学3年生の時には「ミスター大東文化2017」でグランプリを受賞しました。大学を卒業した2019年5月1日に「離さない」でデビューしました。
2023年には、TBSドラマ「下剋上球児」に出演しました。同年、「捕まえて、今夜。」の窓ふきダンスがTikTokで大人気になりました。
そして2024年、木梨憲武さんプロデュース、所ジョージさん作詞作曲の「全てあげよう」をリリース。同年、第75回NHK紅白歌合戦に初出場することが決定しました。
本名や出身校は?
新浜レオンさんの本名は、高城友貴(たかじょう ゆうき)さんです。1996年5月11日生まれの28歳です。出身地は、千葉県白井市です。出身校は、白井市立白井第一小学校、白井市立白井中学校、千葉県英和高等学校、大東文化大学国際関係学部です。身長はなんと180cmもあるそうですよ。
尊敬する人は?
新浜レオンさんが尊敬する人は、ご両親です。特に、お父さんの影響を強く受けて、演歌歌手の道を目指したそうですよ。
木梨憲武さんは新浜レオンさんの師匠?
ラジオ番組がきっかけで生まれた絆
新浜レオンさんと木梨憲武さんの出会いは、ラジオ番組「土曜朝6時 木梨の会。」でした。新浜レオンさんが出演したことがきっかけで、二人の絆が生まれました。
木梨憲武さんは、以前から新浜レオンさんが出演するテレビ番組を見て、彼のことを知っていたそうです。二人とも、西城秀樹さんの大ファンで、木梨憲武さんは西城秀樹さんのモノマネをしていました。新浜レオンさんも、西城秀樹さんの歌をよく歌っていたそうです。
「全てあげよう」誕生秘話
木梨憲武さんのラジオ番組で、木梨憲武さんが所ジョージさんに「レオンくんに、秀樹風の歌作ってよ」と言ったことがきっかけで、なんと約1ヶ月で「全てあげよう」が完成しました。この曲は、木梨憲武さんがプロデュースし、所ジョージさんが作詞作曲を担当しました。
木梨憲武さんからのアツいアドバイス
木梨憲武さんは、新浜レオンさんに「とにかく今年は『全てあげよう』を歌いまくるんだ。この曲を持って全国に行け」とアツいアドバイスを送りました。
そのおかげで、新浜レオンさんは紅白歌合戦出場を目指すようになりました。木梨憲武さんは、新浜レオンさんのツアー初日にサプライズで激励に訪れるなど、まるで本当の師匠のように新浜レオンさんを応援していますが、師匠ではありません。
五木ひろしさんと新浜レオンさんの関係は?
五木ひろしさんは新浜レオンさんの師匠ではない
五木ひろしさんは、新浜レオンさんを息子のように可愛がっていますが、師匠ではありません。新浜レオンさんは、レコード会社兼所属事務所ビーイング(現在のB ZONE)の「海峡レコーズ」からデビューしており、五木ひろしさんの所属事務所とは異なります。
五木ひろしさんが新浜レオンさんを応援するワケ
五木ひろしさんは、後輩を育てたいという気持ちが強く、昭和歌謡を継承する重要な存在として新浜レオンさんを応援しています。
五木ひろしさんが新浜レオンさんにプレゼントしたもの
五木ひろしさんは新浜レオンさんに衣装をプレゼントしました。また、新浜レオンさんの5周年記念コンサートにサプライズで登場し、「夜明けのブルース」を一緒に歌いました。さらに、五木ひろしさんの歌手生活60周年記念ライブに、新浜レオンさんがゲスト出演しました。
所ジョージさんと新浜レオンさんの出会いとは?
先輩と後輩のような関係性
「全てあげよう」の作詞作曲を担当した所ジョージさん。新浜レオンさんは、所ジョージさんを「ミュージシャン」としてとても尊敬しています。二人は、同じ音楽業界で活躍する、先輩と後輩のような関係性で師匠ではありません。
「全てあげよう」はどんな曲?
「全てあげよう」は、木梨憲武さんプロデュース、所ジョージさん作詞作曲の楽曲です。日本テレビ系「DayDay」の3月のエンディングテーマソングにもなりました。新浜レオンさんの公式YouTubeチャンネルで、ミュージックビデオを見ることができます。
追撃盤は歌謡シングルランキングで連続トップ10入りを記録しています。
新浜レオンさんの本当の師匠はお父さんだった!
演歌歌手への道のりを解説
新浜レオンさんは、お父さんの影響で幼い頃から演歌や歌謡曲に親しんできました。お母さんは、安定した職業に就いてほしいと願い、演歌歌手の道には反対していました。大学時代の友人も、演歌を聞く人はほとんどいなかったそうです。
しかし、新浜レオンさんは「若い世代にも歌謡曲の素晴らしさを伝えたい」と強く思い、演歌歌手を目指すことを決意しました。大学4年生の時、各音楽レーベルにデモテープを持ち込み、その中には、B ZONE(旧ビーイング)もありました。
そのデモテープには、演歌だけでなく歌謡曲、POPSなど幅広いジャンルの曲が収録されていました。それがきっかけで、新浜レオンさんは、将来性を見出され、デビューへの後押しをしてもらうことになりました。
デビュー曲と当時の芸名は?
新浜レオンさんのお父さんである高城靖雄さんは、長年演歌界で活動を続けるベテラン歌手です。「は・か・た・の・しお!」のCMソングでも有名です。デビュー当時の芸名は、水原達矢さん。「日本海’88」でデビューしました。
家の中が「伯方の塩」だらけ?
新浜レオンさんが幼い頃、お父さんが「伯方の塩」のCMソングを担当していた関係で、家の中が「伯方の塩」だらけだったというエピソードがあります。
おわりに
新浜レオンさんには、木梨憲武さんをはじめ、所ジョージさん、五木ひろしさんなど、素晴らしい「師匠」と呼べる人たちがいることがわかりましたね。でも、その中でも一番の師匠は、やっぱりお父さんの高城靖雄さんです。
お父さんの影響で演歌歌手を目指した新浜レオンさん。これからも、たくさんの人たちに支えられながら、素敵な歌を届け続けてくれることでしょう。
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